虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか (平凡社新書)
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虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか (平凡社新書) の詳細
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書名 : 虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか (平凡社新書)
作者 : 石井 光太
ISBN-10 : 4582859119
発売日 : 2019/5/17
カテゴリー : 本
ファイル名 : 虐待された少年はなぜ-事件を起こしたのか-平凡社新書.pdf
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残酷な殺人事件の加害者らが、親から凄惨な虐待を日常的に受けたり、劣悪な環境で育ったため、他人の痛みを考えられない人間になってしまったという例は多い。虐待と少年犯罪の因果関係は、統計の上からも明らかである。彼らの心の闇に光を当て、問題の根源に何があるかを見つめ、社会としてどう向き合うかを考えるべきではないか。著者の石井光太氏は、川崎中一男子生徒殺害事件を書いたことで、その思いが一層膨らんでいき、日本全国の少年院を巡って、加害少年や、矯正教育に関わる人々に話を聞いていった。食事もろくに与えられず、入浴も着替えもないので、学校では「臭い」「汚い」といじめに遭う。日常的に親から暴力を受け、家は恐怖の場であり、小学生のうちは必死になって耐えるが、思春期になると心が折れたように家の外に飛び出して同じような境遇の不良グループと付き合い始める。不良グループの中で居場所を得るには、万引きや売春といった彼らの行動原理に染まらなければならない。そんな風に非行を繰り返していくうちに、倫理観を失い、他人だけでなく、自らのことまで傷つけるようになる。虐待を受けた子供たちがみんな犯罪に手を染めるわけではないが、知的障害や発達の障害があって耐久性が弱かったりすると、虐待による悪影響が他の子供以上に大きく出てしまう。軽度の知的障害やASD(自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、虐待、いじめ、社会的孤立といったものが複雑に絡み合って、事件を起こしたケースもある。劣悪な環境で育った少年少女に多いのが、自己否定感である。生きていても仕方がない、自分なんてどうでもいいという気持ちが心の大半を占めてしまうのである。少年院での矯正プログラムでは、「自己肯定感」を育てていくことがすべての基礎として行われている。「物心つく前から虐待を受けていると、自分なんて生きていたって仕方ないと自暴自棄になっている。他人の気持ちなんて想像もせずに暴力を振るう。そんな少年たちに対して教科や寮生活の中でたくさんの成功体験をさせ、自分自身を肯定できるようにしていくのです」と施設の教官は語る。ちょっとした努力を見つけて褒めてあげたり、ボランティア活動を通して感謝される喜びを教えたり、スポーツやアートで達成感を味わわせたりしながら、心の中で育んでいく。ある少年は、少年院で出会った陶芸で才能を発揮し、人生が開けた。劣悪な環境で育った子供たちは愛情や成功体験の「飢餓状態」にあり、逆に言えば、ちょっとした経験によって一気に道が開けることもあるのだ。第5章では、少年によって我が子を殺された多くの親たちの慟哭が語られている。少年たちの大半は罪の意識を持たない(持てない)まま事件を起こしている。「ムカついたから」といって友達を暴行死させたり、ストレス発散のために性犯罪を起こしたりする。少年院の役割は、こうした少年たちに罪の重さを認識させ、更生させることだが、その期待に応えられる少年は決して多くない。「少年院を出てからも暴走族に入り、再犯をして、損害賠償を払わない。いつしか自分の中で彼らの更生を諦めるようになった」と、息子を少年らに暴行死させられた母親は言う。父親から暴力を受け続け、父親を憎悪し、父親を困らせるため「誰でもよかった」と見知らぬ人を殺した軽度の知的障害のある少年がいる。少年は裁判の最中にも暴れ続け、被害者の親は、「残念ながら、ああいう子は更生できないと思います。少年院や少年刑務所の指導は、通り一遍のもので、用意されているプログラムを機械的に当てはめていくだけです。もちろん、すべての少年に対して指導が無意味だって言うつもりはありませんよ。でも、うちの事件の加害少年のような者には、そうでない指導が必要だということなのです。判決にせよ、矯正教育にせよ、ひな型に当てはめているだけだなって感じます。本来は、判決にしても、矯正教育にしても、その子の内面まできちんと考えて適切な決定を下さなければなりません。そういうところが抜けているから、少年事件の再犯はなくならず、その結果として苦しむのは遺族や新たな被害者なんです」と述べている。高校生の娘を元同級生に殺された父親は、弁護士が加害少年の精神鑑定の結果を提出して、重い刑罰を下すべきではないと主張したことに対し、「加害少年の妄想や言っていることが尋常じゃないのは分かります。不幸な家庭環境が原因だっていうのも一理あるでしょう。でも、彼は計画性をもって殺人事件を起こしているのです。弁護士は加害少年を守るために『病気』という言葉をいいように利用しているとしか思えません」と言う。更に十年後、医療刑務所を出所した加害少年は、再び犯罪を起こしたのである。「現在の裁判所の仕事は、犯罪者を刑務所に何年入れるかを決めることですが、将来刑務所から出所させるという前提があるのなら、何としてでも再犯をしないような人間にすべきです。それができないのに、判決通りの年月が経ったというだけで出所させれば、また何の罪もない人たちが犠牲になるんです。国には国民の安全を守る義務がある。そのために矯正教育をきちんとしてほしいし、もし更生しないなら別の方法で被害が拡大しないようにしてほしい」。最後の第6章で、非常に高い確率で少年を更生させている福岡県の田川の更生保護施設を取り上げている。理事長は元暴走族の男性で、「うちに来るのは、全国の施設で受け入れてもらえなかったような子ばかりです。でも、ここへ来てもらえば大半の子を更生させる自信はありますし、現実にそうやってきました」と言っている。彼も荒んだ家庭の出身で、小学校の高学年から不良生活で、18歳の時、逮捕されて少年院に送られた。20歳で結婚して娘が生まれたことで、足を洗う決意をした。そして、仲間や後輩たちのもとを回り、「一緒に真面目に生きよう」と説得して回った。元犯罪者が真っ当な仕事について堅実に生きていくのは簡単なことではない。だからバラバラで行動するのではなく、みんなで支え合ったらどうかと考えたのである。ゴミ拾いのボランティア活動を続け、それが新聞で取り上げられたことから、「うちの息子を更生させてほしい」と頼まれるようになった。暴走族時代の経験から、彼らにどう接して何をさせればいいのか直感的に分かるので、更生は上手くいった。少年たちにとって彼は自分を分かってくれる「兄」のような存在であり、尊敬を持ってついていこうとする。元当事者が支援をする側に回った時の利点は、当事者の気持ちが分かることだ。暴走族の総長時代に社会からこぼれ落ちた不良たちを組織として統合した経験から、ノウハウが自然と身についていたのだろう。「少年の非行防止は社会全体の課題です。少年の時点で非行を止めておかなければ、彼らは大人になってより大きな犯罪に走ります。下着泥棒がレイプになり、シンナー遊びが覚せい剤になり、暴力が殺人になる。少年を更生させるのは、日本の治安を守ることにつながるんです」「ここ田川は不景気で治安も悪い。だからこそ、国も県も自治体も、少年の更生保護に注目してくれてますし、法務省や大学の偉い人たちが視察にやってきてくれます。出所者を雇用する企業である『協力雇用主』の数は、福岡県が日本最多です。こうしたことから、田川は更生保護において日本の最先端をいってると言われています。ここで成功を収めれば、必ず10年後には日本のスタンダードになる」。田川から福岡へ、そして全国へ、更生保護の波を広げていく。彼の見つめる目の先には、その光景が見えているのだろう。日本が進むべき未来の一つの形をはっきりと示しているような気がした、と石井光太氏は書いている。いつもながら、石井光太氏の取材力、文章力には感心する。「一朝一夕にして社会を変えることはできないが、個々が意識を変えていくだけで、絶望の底にいる少年が助かることはたくさんあるのだ」と「あとがき」で述べている。
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